新グレートジャーニー 関野 吉晴 特集

新グレートジャーニー 関野義春

「Great Journey(グレートジャーニー)」とは

人類の起源は、およそ700万年前に東アフリカで誕生したといわれており、約10万年前にアフリカでホモ・サピエンスが誕生し、そこからユーラシア大陸、北アメリカ、南アメリカなど世界中へと広がっていたと考えられている。その中でも、アフリカ大陸からベーリング海峡を渡り、南米最南端への移動は5万キロ以上におよんだ。後にこの道のりはイギリスの考古学者ブライアン・M・フェイガンによって「グレートジャーニー」と名づけられる。

新グレートジャーニー 7年におよぶ壮大な旅
かつてのグレートジャーニーを再び。
7年におよぶ壮大な旅路への挑戦。

関野吉晴は人類のルーツを訪ねたいという想いから、1993年、近代動力を使わずに自らの脚力と腕力だけを頼りに遡行する旅「グレートジャーニー」をスタート。南米最南端ナバリーノ島をカヤックで出発して以来、行く先々で様々な文化やその土地で生きる人々と触れ合いながら、5万キロ以上に及ぶ旅路を足かけ10年の歳月をかけてめぐり、ついに2002年2月10日、旅のゴール地点であるタンザニア オルドヴァイ渓谷ラエトリへたどりついた。

新たなる挑戦の旅路へ -日本人のルーツをたどる新グレートジャーニー-

気の遠くなるような道のりを踏破し、感慨にひたる関野氏だったが、その心の中には既に次の旅への構想ができていた。 かつてのグレートジャーニーは人類発祥の地をたどる旅だったが、今回は「人類が日本列島にやってきたルートをたどる旅」をテーマに選んだ。新グレートジャーニーと呼ぶにふさわしい壮大なプロジェクトを胸に、関野氏の新たな挑戦が始まった。

新グレートジャーニー 自然から素材をとってきて自分たちで作る

「自然から素材をとってきて自分たちで作る」
工具造りからはじまる新グレートジャーニーのもう一つのテーマ。

関野氏のこだわりは旅のルートだけに留まらなかった。探検家であると同時に武蔵野美術大学教授としての一面を持つ彼は、今回の旅に使う舟を手作りしたいと考えたのだ。学生たちと共に原材料を採集し、そこから工具、縄、保存食等の準備が始まった。 砂浜から磁石を使って砂鉄を集め、刀鍛冶の河内國平氏と野鍛冶の大川治氏の協力のもと斧、ノミ、ナタ、チョウナが出来上がった。帆を結うなど様々な場面で使用する縄はシュロという木から造り上げた。市販の物に頼らず、あえて原材料の収集からスタートする。それはかつてグレートジャーニーで近代動力を使用せずに徒歩、自転車、カヤック、そして動物たちの力を借りて移動し続けた彼ならではの発想だ。工具が完成すると、航海に使用する舟を造るための木を探すため2008年の夏、学生たちとともにインドネシアへと渡った。丸木舟を造るために相応しい太さを持った木を探すのは並大抵のことではなかったが、インドネシアに渡航してから2ヶ月半、周囲6メートル以上、長さ約54メートルの大木が見つかった。現地の人々の協力を得てこの大木を使用した丸木舟造りが始まった。

新グレートジャーニー 作業の様子

3つのルートからたどる日本への道のり

日本人はどこからやって来たのだろうか―。 形質人類学、考古学、遺伝学、古生物学、文化人類学などの学際的研究から日本人の祖先は「グレートジャーニー」から3つの主要ルートをたどって日本列島へやってきたと考えられている。 ヒマラヤ北部からサハリンを経由して北海道へと到達した「北方ルート」、ヒマラヤ南部からインドシナ半島を通り、朝鮮半島を経由して九州へと到達した「南方ルート」、そして東南アジアから島伝いにオセアニアへと移動し、黒潮にのって九州に到達した「海上ルート」。

これら3つのルートをたどるべく2004年7月から「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」がスタート。シベリアを経由して稚内までの「北方ルート」と、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「南方ルート」を終えると、最後のルートとなるインドネシア・スラウェシ島から石垣島まで手作りの丸木舟による4000キロの航海「海のルート」へと出発。 嵐や向かい風で舟が思うように進まなかったり、月や星が見えない夜は方向決定に苦労したが、それでも日本への道のりをあきらめることなく舟は進み続けた。舟の上で釣った魚を食べたり、訪れた港で現地の人々と交流したりと、様々な文化に触れつつ、日本人の先祖がたどったであろう道をたどった。そして、2011年6月13日、手作りの丸木舟による4000キロの航海「海のルート」はついに石垣島・浜崎マリーナへゴールしたのだった。

新グレートジャーニー

ONYONEは関野吉晴さんのサポートをこれからも続けていきます。

新グレートジャーニー

壮大な探検に私達オンヨネも魅了されて関野吉晴さんが必要とするウェアをサポートし続けています。関野吉晴さんの旅のスタイルは自転車・カヌー・徒歩など、できる限り自分の力で旅を続け、さらに南米最南端からアフリカまで過酷な自然環境での旅はけして楽な旅ではありません。過酷な自然環境に対応できるウェアを継続して提供出来た事は、私達オンヨネの技術の歴史でもあります。

南米から北米へ。そしてユーラシア大陸から人類が生まれた地であるアフリカまでのその距離、約5万キロ。人類の歩んだ道のりを遡る尊い旅。私達オンヨネのウェアがどんな時も一緒に旅をして来た事に対して、もしかしたら『人間に一番身近な道具がウェアかもしれない。』と改めて気づかされました。

そんな時、関野吉晴さんから、インドネシアのスラウェシ島を出航して足かけ3年、6月13日に関野吉晴「新グレートジャーニー 海のルート」が4000キロの航海を終えて、沖縄県石垣島にゴールした連絡が届きました。それは1993年12月にスタートした「グレートジャーニー」10年間の旅、そして「新グレートジャーニー 北方ルート・南方ルート・海のルート」を合わせれば18年間の長きにわたる旅が、ひとまず完結した事を意味していました。

関野吉晴さんの報告会や報道予定が決まりましたら当サイトでもインフォメーションにてご紹介する予定ですのでお楽しみに。

関野吉晴

関野吉晴プロフィール

1949年1月20日東京都墨田区生まれ。
1967年都立両国高校卒業。
1975年一橋大学法学部卒業。
1982年横浜市立大学医学部卒業。

探検家・外科医のほかに武蔵野美術大学教授の肩書を持つ。
1993年から人類発祥の地アフリカをスタート地点にグレートジャーニーを開始。
足かけ10年の歳月をかけグレートジャーニー踏破後、2004年日本人のルーツをたどる新グレートジャーニーへと挑み2011年6月にゴールを迎える。

1999年 植村直己冒険賞(兵庫県日高町主催)受賞
2000年 旅の文化賞(旅の文化研究所)受賞
現在、武蔵野美術大学教授(文化人類学)

テキスト・画像提供:グレートジャーニー連絡事務所
関野吉晴公式サイト(http://www.sekino.info/